54 沖浦の観音さま(おきうらのかんのんさま) (深浦地区)

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 むかし、笠戸島の沖浦で、どこかの船が航海していました。ところが、その日は海が大しけで、船が進まず難儀をしているうち、とうとう日も暮れて真暗闇(まっくらやみ)となり、陸の方向さえわからなくなってしまいました。途方にくれた船頭は、困った時の神頼みと、平素より信仰していた観音さまに、一生懸命に命ごいをしました。
 ところが、その時不思議(ふしぎ)なことが起りました。というのは、陸地に当る方向に、ぴかりぴかりと光るものが見えました。船頭は、喜んで船を近づけたところ、そこは陸地でしたので、ようやくのことで命拾いをしました。
 夜が明けて、また驚いたことには、昨夜光った所には、大きな屏風岩(びょうぶいわ)が立ち、波で、観音さまのお姿が、刻まれておりました。これを見た船頭は、生きた観音さまがお救いくださったのだと感謝しながら、故郷の九州へ帰って行きました。
 別の話になりますが、むかし、深浦の末田某という人が、ある晩のこと不思議な夢をみました。それは、一頭の白い馬が、空中を高く飛び、沖浦の岩の中に消えてしまいました。不思議に思ったこの人は、翌日、夢にみた場所に行って見ると、岩壁に波の力で、観音さまのお姿が刻まれていました。そして、観音さまの霊感に打たれたこの人は、生きた観音さまとして、人々に信仰をすすめ、お接待をするようになってからは、参詣者も増して、益々盛んになりました。
 また、命を助けられた九州の船頭は、助けられた日が十日でしたので、十日を命日として、深浦のある家へ頼み、接待の金品を届けられていたということです。その後も、信心の厚い島の人たちは、一月十日と、八月十日の大祭(たいさい)のほかに、毎月の十日にも多くの人々が、この霊験あらたかな、岩観音さまにお参りをし、今でも、むすびのお接待を続けています。