むかしから、笠戸島と徳山の大島の間は、「まくち」といって、幅が狭く、すこし沖合に、周囲が一里(約四粁)たらずで、広さも十八町歩(約十八ヘクタール)の小さな島、古島が、ぽっかりと海上に浮んでいます。
むかしは、この島の所有者がわかりませんでしたが、誰いうとなく、古島は、徳山の大島のものか、笠戸島につくのか、結局、どちらかに近い方のもの、ということになりました。
そこで、早速船を仕立てて、大島側と、笠戸島の深浦側と同時に船を出し、艪をこいで行きました。そのうち、船がだんだん島に近づき、だいたい同時に着きそうになった時、深浦の「守田老人」が、大変賢い人で、ひと足早く島に草履(ぞうり)をほうり上げたため、古島が笠戸島のものになったと、いい伝えられています。
それ以来、守田の島として、深浦の人々に利用されています。
ある年のこと、秋に大しけがあり、船が難破して、乗っていた人は古島に流れつきました。船頭が息たえだえになった時、守田老人に、船に積んであった宝物を差し出して、自分が死んだ後は、この地に葬って供養(くよう)してもらいたいと頼み、亡くなりました。守田の家では、懇ろに供養をし、墓を立て、目印に、そばに松の木を植えてお守りをしました。
この松は、今でも、古島の大松として残っています。