むかし、笠戸島の江の浦のかたすみに、小さな石の祠(ほこら)が、ポツンと建っていました。あまり小さいので、人の目にもつかない程で、忘れられていました。その後、笠戸島も時代と共にひらけ、江の浦にドックが建設されることになり、島の人たちは、朝から晩まで、みんないっしょになって、土木工事に従事し、小さい石の祠も荒されてしまいました。
ところが、ドックの工事であまり怪我人(けがにん)が多いので、何かあるのではないかと、いろいろ探していたところ、捨てられた土の中から、古い石の墓らしいものが見つかり、その石の表面に、はっきりと「猿田彦大神宮」との文字が、刻まれていました。
普通の石と思っていたみんなは、びっくりして堀り出し、きれいに洗いました。石の裏には、「文政三年五月・当所繁昌のため」と刻まれてあるところから、お金に不自由せず商売も繁昌するという「庚申さま」、すなわち、あの小さな祠の「猿田彦」だったのです。そこで、小高い丘の上に、ねんごろにお祭りをすると、その後は、怪我人もなく、工事ははかどったということです。