民謡は、特別の目的のために作られたというものではなく、いつ歌われはじめたのか、作者がだれであるのかわからない。一般民衆の生活に結びついて、共同のふんいきの中にうまれ、歌い伝えて今日にいたったもので、庶民の間に自然に発生した文学である。日日の生活の作業・慰安休養・遊び・祝い・祈願などのなかで、心の奥底からにじみ出たものである。
歌われていたものには、作業唄が最も多い。きびしい労働の毎日で、少しでもやわらいだ気持ちづくりに歌われた。協同作業ではみんなで調子をそろえる意味もあったろう。
唄の内容をみると当時の庶民の生活の心がわかるような気がする。封建時代(ほうけんじだい)であったので、地主をたたえ、その家の繁昌(はんじょう)や、金持ち物持ちお倉の数などほめそやしている。庶民(しょみん)特に農家は苦しかった。年貢(ねんぐ)の苦しみ、夜毎の夜鍋(よなべ)仕事、粗衣粗食(そいそしょく)に耐えながら、五穀豊饒(ごこくほうじょう)を祈り、我が家のささやかな幸せを思う唄も多い。教訓的なもの、物事の教えもあり、勤労の重視、家族へのいたわり合い、仕事の手続き方法も歌っている。農家にとって、自然との結びつきは特に強いことからか、天然現象・天体・動物植物の唄がある。年中行事は当時の単調な仕事の毎日の生活では、一つの節であり、生活の支えであり、またひとときのやすらぎであった。それだけに、行事に結びつく唄は、明るく、ユーモラスで、いきいきしているものが多い。恋唄や、男女の情を歌ったもの、また芝居の中から歌ったりしているものにふれると、当時の庶民の人間味にホロリとする。
永い年月、口から耳への口承(こうしょう)により、民衆の間で歌いつがれたこれらの民謡は、集団の中での無意識の伝承であるだけに、唄の意味が、歌う本人さえはっきりしないものがある。ここに集録したものの中にも、そうした唄がみられる。歌い伝えた人たちの時代環境や、個人的な趣向も影響して、歌うふしまわしも文句も、いろいろと変化している。それだけにその地方の生活がにじみ出ていて、貴重な無形の宝ともいえる。
民謡は今、急速に消滅しつつある。民衆の生活容態がいちじるしく変ったため、生活とか作業に結びついた唄である民謡が、すたれていくのも余儀ないことかもしれない。民謡は、郷土的であり、職業的であり、共同体的な性格をもっているので、このことが崩壊(ほうかい)されると、その民謡の生命もうすらぎ、歌われもしなくなったのだろう。
自分で作って歌うでなく、子や孫への伝承を意識するでなく、祖先が歌い周囲の人たちが歌っている唄を、自分も歌うことで、我が生活と心の表現手段としていた当時の人の姿を思い、下松地方で歌われたいろいろな民謡をさぐり、昔の生活に思いをはせたい。