○ 妙見口説き(みょうけんくどき)

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        奈良県龍田 法隆寺   辰己利郎
   瀬戸の浦曲(うらわ)の 波清らかに 松の翠(みどり)も 常永久(とことわ)栄(さか)ゆ
   ここは下松 鷲頭(わしず)の寺の 世にも名高き 妙見尊の
   古き縁起を説き上げまする 浜の砂と 数ある星の
   わけて司の 北辰菩薩(ぼさつ) 国を治めて 人をば救う
   神仙(かみ)の神仙なる 妙見尊よ 神仙の神仙なる妙見尊よ
   そもそも当寺の 本尊さまは 百済国なる 琳聖太子
   伝え給いし 最古の尊像 謂(いわれ)来歴(らいれき) 申そうならば
   頃は 推古の 帝(みかど)の御代(みよ)に 今の下松 鷲頭の庄の
   松の大樹に 大星降り 七日七夜を 輝きわたる
   神子(みこ)に託して 告げしめらるは 吾はすなわち 北辰菩薩
   三歳たちなば 百済の王子 ここに来らん 擁護(まもり)の吾ぞ
   いざや天朝(みかど)へ 告げよと申す 話変って 琳聖太子
   日頃菩薩を 敬いけるに 或夜老翁(おきな)が 夢路に立ちて
   東海国あり 即ち日本 皇子御名は 聖徳太子
   これぞ生身の 観音菩薩 彼に仕うる 仏の道を
   往きて輔(たす)けよ 汝皇子よ 吾は北辰 疑うなかれと
   すでに北辰 降ると聞いて 太子勇んで 壮途(そうと)に上る
   海上はるかに まり生(ふ)に着いて 先ずは問田(とんだ)の 宮居に入りぬ
   太子この秋 桂木宮に 百済持来の 妙見像を
   祭(まつ)り北辰 供養をなさる 次いで鷲頭に 宮をば移し
   上の宮には 虚空蔵菩薩 中の宮には 妙見菩薩
   祈り仏に お仕え申す 太子後裔 大内宗家
   世々に栄えて 信仰厚く 七坊備わり 法の燈(ひ)絶えず
   次もうけたる 毛利の世には 伽藍宝塔(がらんほうとう) 彌栄(いやさか)えしに
   時に盛衰 まぬがれ難く いまは往時(むかし)の 姿はないが
   深き信仰(まこと)に 心をあわせ 今ぞ新たな 平和の春に
   栄え重ねん 歴史に映えて  栄え重ねん 万代(よろずよ)永く
        高松市一番町四九    河西新太郎
   伝え床しき 推古の昔 ここぞ鷲頭(わしず)の 青柳浦に
   星は流れて 光は冴(さ)えて 松に宿りて 七日と七夜
   法(のり)の光は 七浦照らす 平和日本を 明るく照らす
   南無や北辰 菩薩の光
   星は移りて 三年(みとせ)は過ぎて 遙か百済の 琳聖太子
   祈り安けき 一夜の夢に 老翁(おきな)現われ 東の海の
   希望(のぞみ)ゆたかな 日本の国の 人をみちびき 憂(うれい)を除き
   愛の法燈 かざせと告(つ)ぐる
   夢のお告げを 太子は受けて 龍の頭の 船をば飾り
   捧げまいらす 菩薩の御像 風に送られ 荒波越えて
   汐路はるかな みどりの瀬戸へ 鴎(かもめ)舞いたつ まり生(ふ)の浜は
   波も黄金(こがね)の 桜の春よ
   朝は朝露 夕べは夜露 空にきらめく 星かげ宿し
   光すがしい 桂木山に 心清めて 太子がまつる
   南無や北辰 妙見菩薩 善星皆来 悪星退散
   日本最初の この星祭り
   真澄む鏡が 閼伽井(あかい)の水に 映(うつ)す心も 六根清浄(ろっこんしょうじょう)
   鷲頭山上 法燈護り 栄えいやます 七坊伽藍(がらん)
   されど常なき 浮世の風に 焼けた堂塔 新たに興し
   仰ぐ鷲頭寺(じゅとうじ) 歴史に香る
   雲も乱れる 幕末の世の 嵐ふたたび 逆まく中を
   菩薩尊像 宝器と共に 名さへ下松 常盤(ときわ)の松に
   星の宿りし 由縁(ゆかり)の土地に 遷(うつ)りまいらせ 日の夜に栄え
   ここに輝く 妙見さまよ