当地方の年中行事は、「若水汲み」から始まる、この年の行事の総てが「迎神(かみむかえ)」「送神(かみおくり)」的な行事であるといっても過言ではない。ここにいう「神」とは、個人・家・地方に恵みをもたらすものの総称で、古くは氏の大祖先神、祖先の霊や、その地方の自然に宿られ、生活・産業に恵みを与えられる霊等で、日本の大祖先神としての「天照皇大神」その地方の守護神の「氏神」、また土地・水・火の神々、一年の吉神とされる「歳徳神(としとくのかみ)」、家々の「祖先の霊」となったものである。
これらの神々は恵みを与えくださるが、一部の神は強力な力の持主で、よいことをして、早く去ってもらわないと、その力により禍いを起こされる神もあり、「神おくり」がなされている。正月三日「かど松おさめ」がされているのも、その現れであろう。正月・小正月・節分・節供・春祭・端午・田植・夏祭・盆会・秋祭・新嘗祭等年間たびたび「迎神」「送神」が繰りかえされているのはその理由からである。
年中行事は、さかのぼって考えれば元は一つであったものが次第に分れ、公家・武家の年中行事と町方・田舎のものとがあって、都会のものは田舎のものの延長であって、ただ都会的に洗練されているにすぎない。しかし公家・武家階級のものと町方・田舎のものとの間では、その違いが著しい。これは個々別々に昔から長い間、違った伝えを守っているからである。
当地でも農村と漁村、町方では細部において違ったものがあるのは、迎える神が異なっていて、神々の好みの違いからおこり、それが長く守られてきているからである。
最近まで当地方には五・六月伊勢神楽(いせかぐら)が回ってきて、毎年きまった家でかどづけをしていた。この他古くは一・二月頃三河万才(みかわまんざい)等も回っていたように聞いている。このような、祝言職人の団体は古くは国中を巡り、風俗・年中行事の伝播者(でんぱしゃ)で、その人びとによって播(まか)れた同じ種も、土地によって違って育ち、また似ているにしてもどこか相違した発達をしてきた。同種の種も土地によって育つところと、育たぬところができてくる。だから次にあげられるいろいろな行事も、当市全域にわたって同じように行われているのではなく、地域によって違っており、また最近の生活環境の大きな変遷(へんせん)によって、戦前のものがそのまま続けられているもの、変化したもの、簡略化したもの、姿を消したものなどがある。
昔の生活で後世まで姿を残して行くのは、信仰に関したものだけである。年々繰りかえして同じことが行われるのはそのためで、その他は殆(ほとん)どが一度限りで消えて行く、心理的な印象は、それが残され、度重なって新しい文化を築くが、信仰に根がないので、常に繰りかえされることなく、まもなく変化してしまうのである。したがって年中行事は「信仰」を除いては考えられないので、その点考慮いただきたい。
「信仰」といえば常に神・仏・魂・妖怪(ようかい)を感じるであろうが、それだけではなく、年中行事には「ことだま信仰」「形似信仰(けいじしんこう)」なども多く現れている。
「日の本はことだまの幸はふ国」といわれており、これは「ことだま」の霊妙な力で幸福のもたらされる国の意で、言語に宿っていると信仰された不思議な霊力、言語に宿る神霊を信じたものである。現代人にとっては、異様に感じられるが、大勢の人が意外に守りつづけている。例えば婚礼の場合、切る・切れる・破る・破れる・こわれる・もどす・別れる、という言葉を慎んでいる。
また、子供の名前にも、子供の幸福を願う魂のこもったものをつけ、例えば、美しく女らしく育って欲しいという意味をこめて、「美子(よしこ)」「優子(ゆうこ)」「雅子(まさこ)」とか、すこやかに育ってくれるようにという願いから、「健一」「康一」または、「賢一」「聡子(さとこ)」などとつける人もある。これらは「ことだま信仰」の現れである。
では当地における年中行事について記すが、幸い寛政(一七八九―一八〇〇)・文政(一八一八―一八三〇)年中、京師にあって公家(くげ)に仕えた人の「公家社会」の年中行事記録があったので、当地に関係深い年中行事の中に併記する。どのように違いがあるか、お読みいただきたい。また、当地の年中行事も地域や家々により、多少の違いがあるので、比較されながら読まれ参考になることがあれば大変(たいへん)幸せである。
近頃、地方・農山漁村のさびしさが、とりわけ目につくのは、テレビによる面もあろうが長い間の年中行事を自らが破壊したためである。昔は民間の生活にあまり書物を必要としなかった、ただ古くからの風俗習慣が都における書物のように必要であった。今でこそ、書物は大切なものになっているが、昔は都でもその用いられる範囲は狭かった、まして田舎では年中行事が人々を支配し、進歩させたのであった。古書を古典と呼ぶならば、田舎の年中行事は、即ち生活の古典である。
われわれの生活は、合理的な生活をしているとのみ思っている人が多かろうが、実はある点まで古典的な生活の規定によらずに暮しているものはない。合理的な生活というものは、実は必ずしも、生活気分が完全に随伴(ずいはん)しているわけではない。その点、年中行事が実生活と気分を兼ね備えている。われわれが生活らしい生活をはじめようとすると、一種の様式風な生活を欲してくる。つまりきまりきった生活様式に入ろうとする、そんなことを考えたこともないような青年が、一度家庭をもつと、まず「輪じめ」を掛け、鏡餅を飾ろうとする、そこに生活の型のよさを感じようということになる。つまり何か安定した生活の感じに満足を覚えるのである。要するに自分達の生活が古典化された喜びである。
更に考えると、生活律法のうえに、自分の生活を置いているという満足感なのである。それを遂行(すいこう)したということが、一人前の人間になったという感じをもたせるのである。