一月十五日を小正月といっている。農村の生活にとっては、正月は幾度でも繰り返して行われる。元日から小正月の間でも小さく区切って、三日歳取り(としとり)(三日正月)七日正月などと言う語で示されている。つまりその日、その日に新しい事を始めると言うつもりであろう。なかでも、小正月は農村にとって、一番意味が深く大切な行事である。つまり元日は早すぎるし立春は遅すぎる、小正月の方が生活に即しているので、自然により多く親しみをもつようになったのであろう。此の日には小豆粥(あづきがゆ)をたいていただく、その粥(かゆ)で「なり木責め」を行っている。現在はその姿をみないが古老の話を聞くと「私が小さい時には小豆粥をもって、なり木(柿・柑橘(かんきつ))の傍に立ち、『なるか、ならんか』と三度繰り返し、終わりに『なります、なります』と木にかわって答え、小豆粥を木の根にかけていたことを思い出す」これは今年も沢山(たくさん)の実を結ぶようにと、樹木を責める行事である。
(資料) 献御粥(おかゆ)
昔、モロコシニ蚩尤(しいう)ト云悪人アリ、黄帝ト戦ヒ、正月十五日コレヲ殺ス、其ノ首ハ、上テ天狗トナリ、其ノ身ハ伏テ蛇霊トナリテ崇ヲナス、其悪人常ニ小豆粥ヲ好ム、仍テ、小豆粥ヲ備ヘ天狗ヲ祭リ、東ニ向イ再拝シテ家内モ小豆粥(あづきがゆ)ヲ食スルハ年中ノ邪気ヲ除、此イワレ。