その起源は、その昔、和銅四年(七一一)二月の初午の日に、伏見の三カ峯に稲荷の大神が出現されたので、この日を記念してお祭りが行われている。
伏見稲荷大社には、全国からつめかけた参拝者が群れをなし、山上七か所の神蹟を巡拝し、全山人で埋めつくされるほどである。
当市でも福徳・耕白・白玉・白菊・深浦・江の浦・東河原その他の稲荷には、里人や各地から参詣で賑い、特に福徳稲荷は早朝より、夕方遅くまで多くの人々が参詣している。波打ちぎわにある耕白稲荷は、旧暦の「二番午」の日(三月頃)にお祭りが行われている。稲荷社の祭神は倉稲魂命(うかのみたまのかみ)で、五穀の守護神であることから、その加護を祈るこの祭りには、商売関係の人びとの参詣が多い。
一般に稲荷さまと呼ばれる中に、伏見稲荷大社を総本社とする系統とは別に、佛教の守護神をまつる稲荷社、たとえば豊川稲荷などのような別系統のものもある。
また、荼枳尼天(だきにてん)崇拝を習合して荼枳天が狐に乗っているという伝承から、狐と結びついた信仰となった。
(資料) 稲荷初午祭 上ノ午ノ日
御社ハ山城国紀伊郡伏見街道飯成山
祭神 三座五神并末社
倉稲魂命ハ伊装諾尊(いざなぎのみこと)ノ生ル児(みこ)、百穀(ももたつもの)ヲホドコシタモフ故ニ各ケ奉ル、則穀気ノ神霊、神代ノ昔ヨリ此峯ニ向ヒタマフ。
○稲ノ訓ハ、イキ子 人ノ命ノ根ニナル故デ 稲荷ハ イ子ナリノ訓
・天雲ノイナリト歌ニヨム ・三社ハ昔、三峯ニ鎮座
○三ノ峯ニ顕レタマフハ、元明天皇和銅四年亥ノ二月十一日上ノ午ノ日ナリ、天下万民ノ為ニトテ憐(あわれ)ミタモフ御神徳ニテ蒼生(あおひとくさ)ノ作(つくら)ン、草ノ片葉マテモ百(もも)ノ災(わざわい)ヲハライタマイ五穀成就(ごこくじょうじゅ)ヲ守リタマフトノ御託宣(おたくせん)
○二月初午ノ日ヲ祭リ参詣致スコトハ、三ノ峯ニ顕レタマフ二月十一日初午ノ日ナリ、故ニ今ニ至リ、此日ヲ祭リマスル
○正一位ノ神位ハ 朱雀天皇天慶三年八月二十八日(九四○) 宣命
○十一月八日 鍛冶屋ヲ始、金物師今日韋囊(ふいご)祭トテ稲荷ヲ祭ルコトハ、昔三条小鍛冶此山ノ土ヲ以テ刃(やいば)ノ元ニ用ヒケレバ比類ナキ剱ヲ打出ルヨリ当山ヲ信仰シ奉ル此イワレ