24 祈年祭(としごいのまつり)

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 立春を過ぎると、名実ともに新しい年になる。そこで二月中、下旬(古代から中世までは四日)の吉日を選んで、年穀の豊穣を祈り、天皇の御安泰と国家の安康、国民の繁栄を祈願する大切な祭りである。
 延喜式(九二七)には、祈年祭所祭の神名を記しているが、応仁の乱により廃絶。元禄の頃再興を計られたが、思うにまかせず、明治二年再興されている。戦前は二月十七日以後、二月中に各神社でとり行われていたが、戦後は衰え、現在、市内のお社でも花岡・降松の両社や、古くから春祭りのない松尾・切山八幡宮では、この祭りを春祭りとして行っている。
 (資料) 祈年穀ノ奉幣(ほうへい)
○コレハ二月、七月、両度吉日ヲヱラビ、二十一社ニ奉幣使アリ、年穀ヲ祈リタマフ事
 伊勢 大和 広瀬 龍田 住吉 日吉 梅宮 石清水 賀茂上、下 松尾 春日 三輪 大原野 石上 吉田 稲荷 広田 祇園 北野 丹生 貴布祢 二十一社
○天武天皇四年正月年穀ノ祈奉幣使アリ。禁中ニヲイテ誠ニ御大切ノ御祈リ有難事
 (注)=二十二社の奉幣(祈年祭)
     伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野・大神・石上・大倭
     広瀬・竜田・住吉・丹生・貴布祢 以上先ず十六社が選ばれ
     正暦二年(九九一) 吉田・広田・北野の三社を・正暦五年(九九四)梅宮
     長徳元年(九九五)祇園・長徳三年(九九七)日吉を入れて以上二十二社、
     二十一社奉幣という場合、日吉を除いたこともある。
     永保元年(一○八一)以後は少しも動くことなく、二十二社が常例となった。
     日本書紀・天武天皇四年(六七五)正月の項に左の記事あり。
      祭ニ幣ス諸ノ社ニ
 歴史的に祈年穀奉幣の儀のはじまりは、醍醐天皇の延喜二年(九〇二)豊年を祈願して伊勢神宮および、近畿の二十二社に奉幣を行う。祈年穀奉幣の儀がはじまったもので、祭日は、二月・七月の二度の吉日を選んで行われた。