最初は四国八十八か所の霊場めぐりで、「お遍路さん(おへんろさん)」として、阿波の国(徳島県)・霊山寺を一番の札所として、土佐の国・伊予の国・讃岐(さぬき)の国と四国四県にわたって霊場めぐりをした。下松から四国に渡って、二か月以上もかけての霊場めぐりは、山野を越えての難行苦行(なんぎょうくぎょう)で、強固な意志と体力を必要とし、やり遂げたときの喜びは格別のものであると聞いている。
周防の国でも秋穂町や、大島郡には早くから霊場が勧請(かんじょう)されている。明治を経て大正になると、お大師まいりの信仰はますます盛んとなり、市内でも米川一円・久保・平田にかけて「周南八十八か所」と、だんだん数が増えてお大師信仰も盛んとなった。
春のお彼岸の中日(三月二十一日)、弘法大師のご命日にお参りが多く、一か月遅れの四月にもお参りがある。また、秋のお彼岸中にもお参りが多い。服装は、昔は手甲(てこう)・脚絆(きゃはん)・白足袋・草履・金剛杖(こんごうづえ)と言ったお遍路姿であったが、今は多様な服装となった。
四国などでは、お寺ごとに納経堂(のうきょうどう)という、お札(ふだ)を納める所があるが、この近くでは少ない。「同行二人」と書いたお札と、お米をお大師様にお供えして、般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱え御詠歌(えいか)をあげている。
各地区の熱心な信者の家では、豆御飯のむすび等をつくって、お接待を今も続けている。最近では、四国八十八か所が車で回れる便利さから、車で巡礼する人が増えて、地方の八十八か所が忘れられてきた。