31 春祭(はるまつり)

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 「長徳寺市(ちょうとくじいち)」三月十八日、「花岡八幡宮角力(すもう)」五月一日、「普賢市(ふげんいち)」五月十四日等、早春から晩春にかけて、当市周辺の社寺の春祭が行われる。市(いち)の名を聞くにつけ、子供の頃の楽しかった一日を思い出す。これらの市(いち)は、戦前と現在では、かなり性格が変わって来ている。各市(いち)とも、昭和三十年頃までは参詣する者が、購入する農機具・生活用具の他には子供の玩具や、食べものが中心で、「みの」「かさ」が販売されていた。現在は日常の販売網が完備してきたので、その面での「市(いち)」のもつ意義はうすらぎ大きく変わってきた。
 「春祭」は五穀の成就(じょうじゅ)・家内安全・地域の特性・住民の状況・他の社寺の祭礼等を考え合わせ、自然に現在のものが定まったようである。農閑期の一時を利用して、神々への祈り、次の仕事に必要な品物の準備購入、親類縁者との親しい交わり、子供の楽しみ等を考えてみると、大きな意義をもっている。では当市の神社の「春祭」の現況や、特色あるものを記すと……………
○「花岡八幡宮」 五月一日、今も「角力(すもう)」が行われ、昔に倍して盛会である。当社の角力は、明治二年に始まり、青年力士により奉納されていた花角力(すもう)であったものが、戦後剣道大会を経て、現在の「子供角力」に変わり、千余の豆力士が集まった姿は実に溌刺(はつらつ)たるものである。
○「降松神社」 四月十三日、昭和三十年頃までは「中宮」山上の展望のよい所にある角力場で、にぎやかに花角力が奉納されていたが、今はその面影はない。
○「鷲頭寺(じゅとうじ)」 四月十三日、昭和三十年頃まで妙見角力として、にぎわっていたが今は行われていない。
○「笠戸神社」 四月十八日、
○「深浦八幡宮」 四月第四日曜 両者とも毎年「神舞(かんまい)」が奉納されていたが、昭和三十年頃より五年に一度ぐらいになっている。
○「米川神社」 四月十七日、当社の春祭は大変(たいへん)変わっている。祭に先立ち四月一日に、みくじにより、祭礼御奉仕の方法を神におたずねするおくじ上げがある。それにより「総参詣」(里人がつれだって神社に詣(もう)でる)「度祓(たびはらい)」(三十・五十・百回中臣祓(なかとみのはらい)を奏上する)の何れかに決まるのである。百度祓のみくじがおりると、神官二人で、四時間余の間、祓を奏上し大変である。