この時代から、家の前に棚を作って幟(のぼり)・菖蒲(しょうぶ)・かぶと・槍・吹流しなど、華(はな)やかに飾る習わしができた。
はじめは外飾りが主であったが、後、だんだん家の中へも武者人形や、幟などを飾るようになった。人形は神功皇后(じんぐうこうごう)・武内宿祢(たけのうちすくね)・八幡太郎義家・鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)・加藤清正など、歴史や、伝説に現れる武者をかたちどったものや、桃太郎・金太郎などの、おとぎ話の主人公の人形などが好まれた。鍾馗(しょうき)も疫病を追い払う神として祭られた。
鯉のぼりは、江戸中期頃になって始まったもので、鯉は出世の魚とされたのである。
しかし、江戸時代を通じて、一般農家などでは、ごく簡単にお祝いしたようで、「風土注進案」などを見ても、いずれの村々も「五月節句は、農業肝要の時節に付一統休息はつかまつらず」と言っている。今のように盛んに祝われるようになったのは、農村では、明治中期以降のことであろうか。長男が生まれての、初めての「端午」(初端午)には、子の母親の里から、五月人形や、幟(のぼり)が贈られ、親類からは鯉のぼりなどが贈られ、祝客を招いて祝宴をはる。幟(のぼり)には婚家と実家の「家紋(かもん)」を入れるのが習(なら)わしになっている。
この日は昔から「菖蒲の節句(しょうぶのせっく)」ともいわれ、菖蒲湯をたき、また、蓬(よもぎ)と菖蒲を束ねて屋根にさし、悪魔祓をした。その起源は、延喜式にさかのぼるといわれている。親元や親類近所へ笹巻や、イギの葉餅(柏餅(かしわもち))を配(くば)るのが習わしである。
この日を国民の祝日「こどもの日」として、こども中心の行事も行われている。