田植えは「催合植え(もやいうえ)」とか、「寄合植え(よりあいうえ)」とか言って、近所や親類同志で助けあって植えたものである。中世の記録によれば、当時の田植えは、田の神を迎えるための笛や、太鼓のはやしに合わせて早乙女(さおとめ)が「田植え歌」を歌いながら苗を植えたという。
田植えをする女子を、早乙女と呼ぶのは、「早(さ)」というのが元来、「田の神」のことであったので「田の神」に仕える神聖な行事にあたる乙女のことである。
田植えの終わりの日を、「早上り(さのぼり)」「早苗振り(さなぶり)」と呼ぶのも、本来は、「田の神」が天に帰っていくという、言葉である。植え終わると、「代満て(しろみて)」「植え満て(うえみて)」といって、農家では「ボタ餅」や、「すし」などを作って、風土注進案にもあるように、一日休息して、手伝人をよんでその労をねぎらった。その後、地区ごとに日をきめて「泥おとし」をした。