七夕の行事は、牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)星の話とともに、奈良時代に中国から伝えられたといわれる。孝謙天皇の天平勝宝七年(七五五)初めて二星を祭ったというが、醍醐(だいご)天皇の時の、延喜式に見えたのが初めてともいう。昔から陰暦七月七日を七夕の日といって、一般に親しまれてきたようである。いつ頃からかわからないが、この日を「天の川」にちなんで、星を祭って洪水(こうずい)を防ぎ、五穀豊穣を祈る風習が生じた。江戸時代になると、徳川幕府はこれを重視して、手習い伝授のための効果も著しいとすすめて、庶民の間に広く普及させたと書に記されている。語り伝えによれば、各家々で、蓮(はす)の葉に宿った露を集めて硯(すずり)におとし、墨をすり、用意した五色の短冊(たんざく)に、歌や、願い事を書いて竹枝に結び、美しく飾って、手習いや、手芸の上達願望成就(がんぼうじょうじゅ)を祈願する慣習が、七夕の行事となったようである。
時代の推移とともに、こうした習慣も次第にうすれてきたが、終戦後再び活発となり、このことが、子供の行事のように考えられて今日に及んでいる。
夕刻になると「七夕送り」といって、飾られた竹を川や、海に流し行事を終えるが、これも「天の川」の伝説になぞらえて行うものであろうか、短冊(たんざく)の「文字」を書くのに、芋の葉にたまった露を集めて書くと、願いが一層叶(かな)うともいった。