笠戸島深浦の西ケ浴に、厳島(いつくしま)明神様が祭られている。毎年、旧暦六月十七日夜になると、数隻の漁船に提灯(ちょうちん)をともして、明神様にお参りして、湾内を一巡する行事が続いている。いわゆる、十七夜管弦祭(かんげんさい)である。このお宮の祭神は、伊都岐島姫命(いつきしまひめのみこと)で、伝説によれば、大昔、自分の安住の地を探して、筑紫(ちくし)から東に向かい航海される途中、この島に着かれ、美しい山や、海の景色にひかれ、ここを永住の地にと思われたが、しかし、島内に七浦七恵比須(えびす)を、お祭りしなくてはならないのが一浦だけたらない。それで、笠戸島をあきらめて、更に東に進まれ、安芸(あき)の国の「宮島」に移られたといわれる。深浦の地名は、明神様が「ここは、深い浦じゃ」と仰せられて、このような名がついたと伝えられ、厳島明神様の祭られている土地を「明神」と呼んでいる。このお宮は古い石祀(いしほこら)で、江戸初期の頃に建立されたものと推定される。
古老の話によると、神功皇后が新羅(しらぎ)御親征の途次、この地に立ち寄られたとも伝えられている。十七夜祭の夜は、安芸の宮島様と同じように、深浦地区の東と西より、大きい打瀬船(うたせぶね)一艘ずつに七十数個の提灯(ちょうちん)をともし、月の昇りと同じころに船を出して、海の中に鳥居の建つ明神様にお参りする。また、この船の中では、笛や太鼓のお噺(はや)しが行われ、船のまわりには、何十艘という小船が、本船を守るように進み、提灯の明りが海上に映えて、さながら竜宮城を思わせ夜おそくまで賑わう。昔は、二軒屋(今の二宮町)でも十七夜祭があった。また、戦前までは西開作の塩竃神社(しおかまじんじゃ)では塩田に働く者が、平田川まで、おかげん船を出して賑わっていた。