47 田頭神幸(でんどうじんこう)(御田頭祭(ごでんどうさい))

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 泥落とし申(もうし)、青田祈祷(きとう)、御田頭祭が一般には同一視されているように思われるが、本来は別々なもので、生業の中心になる水稲耕作の豊就(ほうじゅ)や、夏の病難をよける祈念をすることは、同一であるが、祭る神々が、里々の神と産土神(うぶすなのかみ)の違いや、氏神さまに詣でてのお願いと、したしく生活の拠点に氏神をお招きしての、お願いとの違いがある。ここにも「迎神」「送神」がたびたびくり返されているのである。
  (資料) 青田祈祷届(きとうとどけ)
 ○末武上村田方植付皆済候ニ付本月五日定例之通リ、八幡宮ニ於テ青田御祈祷執行仕候
  ニ付比段御届申候也
   明治十七年七月一日           祠官  村上 基福
                       祠掌  村上 敏雄
      戸長  原田 清治 殿
 しかし、地域や、お社によっては三者を一つにして、御田頭としている処(ところ)もある。また、御田頭と、青田祈祷を一つに考える処もあり、地域各様である。
 田頭祭が昔の形をとどめて行われているのは、花岡・深浦・切山・松尾八幡宮・笠戸神社・降松神社の吉原・河内地域で、一部、車等を使用しているものもあるが、神幸の巡路、祈願所等昔のままである。
 中でも、花岡八幡宮のものは盛会で、途中車を利用する地区はあるが、大半は昔日の如く肩に神輿(みこし)をかつぎ、朝十時から午後七時まで、約二十余キロメートルの道のりで、末武郷中を縦・横にくまなく神幸されている。神輿の下をくぐると夏病しないとの伝えにより、多くの者がくぐっている。最後に、下高塚・昭和の若者三十余名が、市街地を「ワッショイ」の声も高らかに、ねり歩き、二百余段の石段を、登りゆく姿は夏の風物の一つである。
 風物といえば、新しい「ゆかた」をはじめて身につけ、蝶結びに、帯をしめた幼児等が、神輿の下をくぐる姿は、なんとも言えないものである。