大乗仏教で説かれる菩薩(ぼさつ)の中で、最も大衆になじみの深いのは、観世音(かんぜおん)であろう。それは大慈悲の体現仏とされ、慈母を想定した姿とともに、三十三の化身(けしん)を現して、法を説くと伝えられる魅力(みりょく)が、多くの人々を帰依(きえ)せしめたものと考えられる。昔から観音参りは朝に限られ、下松・徳山・新南陽の各市に跨(またが)り、十二番梁観音(やなかんのん)が始まりで、新南陽市川崎観音十八番まで、七か所の寺院にそれぞれ札所がある。これを一巡すれば、三〇キロメートルに及ぶと言われる行程を、夜半過ぎから、おびただしい帰依(きえ)者たちの参詣が始まる。手甲脚絆(てこうきゃはん)・珠数(じゅず)・頭陀袋(づだぶくろ)を身につけ、錫杖(しゃくじょう)をついて経文(きょうもん)・詠歌(えいか)を唱えながら、梵鐘(ぼんしょう)ひびく小道・田舎道を歩む光景は、想像するだけで、その純朴さが偲(しの)ばれる。
札所の観音堂では、お参りさんだと言いながら、これまた多くの接待役達が、その労を犒(ねぎら)い、謝意を表し、参詣者に対し、小豆飯、ささげ飯等を振舞うのである。
この朝、観音講は陰暦七月十四日に行われるのが、昔からの慣習であったが、陰暦は一定の日とならないため、明治の頃から太陽暦の八月十日に定められた。