54 月見行事(つきみぎょうじ)

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 陰暦八月十五日の夜、いわゆる名月を観賞することは、仲秋の観月といって、古くから行われた風習である。
 この起源は、古く中国に始まるという。わが国では宮中で五十九代、宇多天皇の寛平九年(八九七)に行われた。しかし、一般庶民には無縁で、風土注進案にはまだ、民間の風習として記載されていない。
 民間の家庭では、相当後の世になってしかも詩歌をたしなむ家庭で、行われたにすぎなかったという。座敷の縁側或(あるい)は、物干台(ものほしだい)に机を置き、団子・柿・栗・芋・枝豆等を盆に盛って供え、芒(すすき)を一升瓶(びん)に立てて供え月を観たという。月見の瓶(びん)といえば一升瓶を思い出すが、庶民の月見といった感が深い。月を単に自然界の一現象として考えないで、神秘的な存在と考えた結果、月に対する信仰が生まれたものと思う。
 特に暑からず、寒からず天気も清澄(せいちょう)で、月を観賞するに最もよい時節であるから、こうした風習も生まれたものと思われる。しかも日本人の習性として、万物自然を崇敬(すうけい)し、一方文雅(ぶんが)風流の念に富む国民性として、自然にこうした月見の行事が生まれたものと思う。
 この八月十五夜(や)を、「芋名月(いもめいげつ)」といい、新芋を供え、芋を食べていたという。昔はこの頃から、夜なべ(夕食後寝るまで働く)の仕事を始めた。八月十五夜の仲秋観月に対して陰暦九月十三日夜の観月を、「後の月見」という。栗の名月、豆の名月ともいわれている。
 この陰暦九月の観月は、仲秋の観月とはちがい、全くわが国で始まったものといわれている。
 月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月    読み人知らず
 名月や座頭の妻の泣く夜かな              塙保己一の妻

 

 以上は、盆行事・精霊流し(しょうりょうながし)・風鎮踊り・八朔行事・月見行事について述べたものだが、このことについて、下松市内の小・中学生により、各学校で調査したところ、次のようなことも行われているのでその要点を掲げた。
 (資料)
 ○なぬか日
   日の出前に洗髪(せんぱつ)する(あかがよく落ちるという)、そばの種をまく。切戸川で髪を洗うとよくおちるという。七へん親をおがむ、七へんおよぐ、何でもみんな七へんする。仏壇の掃除、家中の掃除、お墓まいり
 ○お盆行事
   女は朝髪を洗って仏壇の掃除をした。軒に提灯(ちょうちん)をつるし、玄関先で火をたいて精霊を迎える。仏様にお供えする物は、里いも・ささげ・ほおづき・なすび・人参・きゅうり・こんにゃく・油あげ・そうめん・しいたけ・果物・かしわもち・萩でつくった箸(はし)をつける。
   十三日は、だんご(ゆであげた団子に粉をつける) 十四日は、かやくご飯、十五日は、あずきご飯、朝・昼・夕三度お膳を仏様に供える。仏様の数だけ供えた。
   白玉粉の団子を作る。お墓は灯ろうをつける。お墓参り、お寺さんが来られて、お経をあげられる。
 ○精霊おくり(しょうりょうおくり)
   こいもの葉か、はすの葉、むぎわらの舟(長さ五〇センチメートル位)に供物をのせ、送火をつけて川に流す。上に西方と書き、下に極楽と書いた。今日から川・海で泳がない。
 ○八朔
   風鎮踊りと同じように八朔おどりをする。災害を除くための祭り、畑の作物に感謝し家で御馳走(ごちそう)をつくる。田の実りの節句、夜なべをこの頃から始める。泣き節句ともいう。
 ○風鎮おどり
   風をおさめ、豊作を祈っておどりをする。
 ○重陽の節句(ちょうようのせっく)
   くりめしを作り、いつまでも病気をしないように家内安全を祈る。この日に粟めしを食べないと、蚊がにげないという。
 ○月見行事
   外にむしろを敷き、さつまいもをふかして食べる。だんごと、すすきを供えてお月様をおがむ。
 ○お彼岸会
   おはぎ餅・あづき団子を作って仏様にあげる。お墓に参る。お寺に参る。