何といっても祭りは神と奉仕者との、神人の帰一を目的とするものであるから、御祭神の常在のもとに、出来得る限りの神意の御受納を仰ぐために、請待(しょうたい)申し上げて、その目的を叶(かな)えていただくために厳粛(げんしゅく)に斎行(さいぎょう)されるものである。古式によって執行される神幸式は、崇敬者にとっては、最も神に近づきその恩頼(みたまのふゆ)をいただくことのできる祭典である。
例祭日は、多くは祭神に縁故の深い日か、神社に由縁のある日をあてられている。明治五年の暦法の改正により、旧暦の例祭日を新暦になおし、かなり変動しているが、各社とも祭日を異にしている。古式の豊かさをどのように残し、続けられているか、二・三の神社を例にして記してみる。
花岡八幡宮―例祭日、旧暦九月十四・十五日を新暦の十月十六・十七日に、明治二十年に改められたが、例祭十日前に評定会をもち、細部の打ち合せが行われていた。江戸時代には、別当の地蔵院に郡代等が集まっていた。例祭は社殿や神輿(みこし)に、一夜造りの白酒がそなえられて始まり、前夜祭・本殿祭・神幸祭と執行され、神輿の奉仕者は寛政期の絵馬に記されたような、白丁(はくちょう)・えぼしをかぶり、流鏑馬(やぶさめ)は最近なくなったが、武者姿の随兵(ずいひょう)等、古式のままである。深浦八幡宮では、若者にかつがれた神輿が昔ながらのように、海中を渡御(とぎょ)なさる等また、米川神社の「おみくじあげ」等たくさんある。
花岡八幡宮 十月十七日、米川神社 十月六日、松尾八幡宮 十月四日
切山八幡宮 十月九日、 福徳稲荷 十一月三日、降松神社 十月十日
笠戸神社 旧八月十八日、深浦八幡宮 九月第四日曜、温見神社 十月九日