その年の収穫を終えた農家の人々が、当屋(古くは里長(さとおさ)、現在は順番)の家に集い、里の神を迎え、新穀を捧げて、その年の加護を感謝し、更に今後の御加護を祈るものである。春・夏の申は、神々をまねきお祈りしたことに対し、秋申は神への感謝が重要な意味をもつものである。一面「申(もうし)」というように、神の前で申し合わせ、定めごとをして誓いあったものである。古くは秋申で、年貢(ねんぐ)(小作料)完納について話し合っていたようである。
十二月初旬に行われているが、現在続けられている里は、数少なくなっている。春・夏の申が、現在も数多く続けられているのに、秋申が少なくなっているのは、何となく世相の流れを感じさせ、考えさせられるものがある。
大海町の後野社で、この頃終(あと)祭が行われているが、祭りの意義は同じもので町方(まちかた)と地方の違いだけである。