63 煤払い(すすはらい)

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 十二月下旬の適宜な日時を選び、神棚・仏壇・床間・竈戸(かまど)・井戸等を中心にして清掃をする。今の台所と違い、竈戸(かまど)には薪を焚(た)くので、その部屋の天井も高く、煤(すす)があちこちに付着し、蜘蛛(くも)の「い」も張り黒くなっている。そこで竹の笹をつけた長柄の箒(ほうき)状のものを作り、天井・桁(けた)・梁(はり)まで、ほこりを払い清めて「神迎え」の準備がされていた。近年生活様式の大変革に加えて、夫婦ともに勤めに出る家が多くなったために、簡略化され、正月を迎える清掃にその形をとどめている家庭が多い。しかし神社・仏閣には残っている。
 (資料) 十二月十三日
  今日禁中御煤払ナリ、御奥殿迄不残。男子ハ麻上下女中ハ打カケニテ正月ノ事始ナリ
  天子様元日ノ御装束(しょうぞく)御内覧アリ、民家ニテモ多クハ今日煤払正月物用意ス。
  神功皇后三韓御退治ノ時筑前博多ニテ、御年越候今日御煤払ノ節会アリ
 煤払いがすむと、正月飾りの諸準備が進められ、輪飾り作り、うらじろ、ゆずり葉取りだいだいや、昆布等正月用品の購入、餅つきが行われる。戦前には「餅つき」を業とするものが家々を回り、祝歌(いわいうた)をうたいつつ家の繁栄を願って、杵(きね)を振り上げている姿を見ることができ、年の瀬のあわただしさを子供の肌にも感じさせていた。現在は大部分の家で市販のものが購入され、農家でも機械による餅つきで、祝歌(いわいうた)も聞くことができず、なんとなく無味乾燥な、あわただしい年の瀬である。三十日(みそか)(現在は新暦のため三十一日)の夕刻、氏神さまに詣で、「人型」により「大祓」をうけ、さらに「火」をいただき、心身を清め火は家に持ち帰り、「正月さま」を迎えていたが、現在は「大祓」のみが残っている。それも年の瀬のため参詣の数は少ない。
 (資料)
 ○都ニハ除夜ニオケラ(削掛(けずりかけ)ノ神事ト云)受取リト云事アリ、
  東ハ祇園、西ハ北野天神、夜半頃ヨリ群集参詣ス、神前ノ火ヲ火縄ニ取カエリ、其火ニテ元朝雑煮(ぞうに)ヲタク、今宵(こよい)参詣行来ノ人雑言雑悪サマザマノロズマイヲ取事行モ、満日モ一盃酒ニテ忘 オモシロキ事ナリ
 (注)
 オケラ(削掛ノ神事ト云)受取リト云事アリ=これは「白求(おけら)まいり」のことと考えられる。有名なのは京都東山の白求祭(おけらまつり)で、大晦日から元日朝にかけて、社前におけら(菊科の薬用植物)を焚いてかがり火をつける。参詣客が、この火を吉兆縄(きっちょうなわ)に移しとって、家々で元旦の雑煮をつくる火種や、神棚・仏壇の御灯火にすると、一年の汚れを払うとされている。年をこして、この火種を絶やさないという、大切な家事の務めに対する考えがこもっていると考えられよう。
 オケラは、古名「ウケラ」で万葉集にも歌があり、漢法薬名を白求(びゃくしゅつ)といい、日本各地に野生する多年草である。