金属以前に、かたい物質として人間が知ったのは石である。
石器時代の人たちは、石を材料として生活に用いる利器を作ったし、古墳時代では、石棺(せっかん)やこれを納める石室が多く造られた。これらは人間が石を加工した遺物であるが、学問的には「先史考古学」(文献のない時代を扱う)が従来から取扱い、研究も進んでいる。
それより後、飛鳥(あすか)時代に仏教が伝えられて、建築・彫刻・工芸その他にわたって、今までには見られなかった石造物が、わが国にも多く造られるようになった。それ以来、中国や朝鮮で造られていた石仏・石燈籠・石塔などにならい、日本でもそのようなものが造られるようになり、奈良・平安・鎌倉と時代が進むにつれて、日本的な石造の仏教文化遺物があらわれるようになる。歴史時代の石造品は、仏教関係のものばかりであったのではないが、他のものは従属的で、主流は仏教関係のものであるといってよい。神社にあるものも、江戸時代末までは神仏混合であったのだから、区別することはなかろう。
私たちは、石造物の範囲を、石を材料に造られた遺品で、その形が人工的に作られたものとし、自然石であってもその石面になんらかの形態彫刻を加えたものも含めることにした。長い歴史の中で、私たちの祖先はさまざまな困難を克服し、営々と努力を積み重ね今日の発展をなしとげてきた。
しかし、最近の激しい都市化の波は、次々と工場を建て、住宅地域を拡張しめまぐるしく生活を変えて、町から村の辻から「石造文化財」を消そうとしている。かっては田圃の畦道(あぜみち)で、あるいは家並の陰で、私たちをなごませた神や仏たちが日に日にその姿を消していった。その上残念なことにその由来・いわれが風化し、すたれていきつつある。それに比例して、そこに住む人々の人情やきずな(連帯感)までもが薄れていくかの感があることは誠に残念なことである。
そこで、天変地異の前に無力な私たちの祖先が必要にせまられて作った石造物や、私たちの今日の生活を支えて来た故人の遺徳をしのぶ石碑などを調べ後世に残そうとしてまとめたものである。
今回は意にまかせず十分拾い得なかった点が幾分心残りであるが、このような調査の踏み台にでもなれば幸せである。なお、巻末に、下松市に現存する指定文化財を掲載しているが、何らかの参考になればこれまた幸せである。