[観音様(かんのんさま)について]

14 ~ 16 / 171ページ
 観音信仰は、六世紀ごろより始まり、本尊は「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」である。この観世音菩薩は、大慈大悲(だいじだいひ)で衆生を救うことを本願とし、勢至菩薩(せいしぼさつ)とともに、阿弥陀如来(あみだにょらい)の脇侍である。六観音・三十三観音などの種類やまた、千手観音(せんじゅかんのん)、如意輪観音(にょいりんかんのん)、馬頭観音など多くの形像があるが、そのもとは正観音(聖観音)で、その住居は南海の普陀落山といわれ、日本では那智山(なちさん)といわれている。
 御本尊である観世音菩薩は、わが身を三十三身に現じて(注)「六道」の衆生を救済するということから、「三十三霊場」が各地におまつりされている。
 日本における観音霊場は、西国三十三ヶ所が最も古く(奈良時代=八世紀)、阪東三十三ヶ所(鎌倉時代=一三世紀)、秩父三十四ヶ所(室町時代=一五世紀)、以上合わせて「日本百観音」とし、それに近代新四国三十三ヶ所、周防三十三ヶ所を加えて「日本百六十六観音」となる。
 周防三十三ヶ所は、室町時代(一三三八~一五七三)の初期、当国周防三十三観音の巡礼札所として、大内氏二十四代、大内弘世が勧請し創設したと伝えられる。
 大内氏は、吉野時代の末期、後光厳天皇(北朝四代)(一三五八)の御代に周防長門の守護職に就任し、以後、義隆(大内三十一代)まで八代に亘(わた)ってこの間約二百余年間の間山口に城を築き、京都と文化交流をして「西の京都」とし、一方では明と貿易をするなどして文化の向上をはかった。札所は文化を吸収する一環として作られたものである。
 この周防三十三ヶ所の中で、下松市には「十一番」蓮台寺の如意輪観音(久保・山田)「十二番」分国寺の十一面観音(花岡・粱)および「十三番」の日天寺(花岡・高橋)まで三札所ある。
(注) 六道=一切の衆生が善悪の業により、おもむき住む六つの迷界。すなわち、
      地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上、のことで「六観音」「六地蔵」
      「六道の辻」などはこれに由来する。(広辞苑より)
当国(周防三十三観音霊場)巡礼札所
一番 高森極楽寺真言十一面観音
二番 祖生長宝寺臨済 〃
三番 三浦松尾寺 〃聖観音
四番 日前普門寺曹洞千手観音
五番 姫田普慶寺真言 〃
六番 平生般若寺 〃聖観音
七番 余田福楽寺 〃上 〃
  下十一面観音
八番 城南 蓮池寺浄土聖観音
九番 立野長徳寺曹洞十一面観音
十番 太刀野安国寺 〃聖観音
十一番 山田蓮台寺真言如意輪観音
十二番 粱分国寺 〃十一面観音
十三番 高橋日天寺曹洞如意輪観音
十四番 一の井手福田寺 〃 〃
十五番 上村中山蓮宅寺真言馬頭観音
十六番 岩屋岩屋寺 〃聖観音
十七番 土井建咲院曹洞 〃
十八番 川崎川崎観音曹洞十一面観音
十九番 夜市普春寺 〃聖観音
二十番 富海滝谷寺 〃十一面観音
二一番 木部木部観音 〃 〃
二二番 岩畠極楽寺曹洞聖観音
二三番 松尾光明寺真宗十一面観音
二四番 天満宮満福密寺真言 〃
二五番 右田天徳寺曹洞聖観音
二六番 岩渕観音寺 〃 〃
二七番 鋳銭司岩屋禅寺臨済十一面観音
二八番 宮野清水寺真言千手観音
二九番 宗野令泊瀬寺 〃十一面観音
三十番 水の上洞春寺臨済聖観音
三一番 白石普門寺 〃十一面観音
三二番 朝倉大林禅寺曹洞 〃
三三番 吉敷竜蔵寺真言 〃

曹洞宗…十四ヶ寺本尊十一面観音…十五ヶ寺
真言宗…十二ヶ寺聖 観 音…十二ヶ寺
臨済宗……五ヶ寺千手観音……三ヶ寺
浄土宗……一ヶ寺如意輪観音…三ヶ寺
浄土信宗…一ヶ寺馬頭観音……一ヶ寺
   合計 三十三ヶ寺  合計三十四ヶ寺
   当三十三番中    (一ヶ寺二仏あり)
   無住 十二ヶ寺あり
          (下松地方史より)