4 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) (平田西(ひらたにし))

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 お地蔵様は、大慈大悲をもって衆生の苦しみを救ってくれる菩薩として信仰される。また、子どもを特に護(まも)り救うとされ、遠い昔から深く信仰されている。
 このお地蔵様は、身の丈五五センチほどの座像で、珍しく合掌のお姿である。いわゆる諸龍(しょりゅう)地蔵さまというのであろうか。
 建立年代は、はっきりしないが花崗岩の台座に
  平田村 貞右衛門
   寅  二月吉日建立
と刻まれている。平田村とは、末武下村の小村名である。
 また、像のうしろに
    奉修一会南無大慈大悲地蔵菩薩百五十年忌広大慈恩塔也
 と書かれた「板塔姿(いたとうば)」が掲げられている。年代が書いてないが古老の話によると、この百五十年忌の供養は、戦前であったというから、逆算すると台座に記された「寅年」は天明二年(一七八二)か、寛政六年(一七九四)かのいずれかと推定される。
 特に寛政四年(一七九二)は、享保(きょうほ)年間以来の大飢饉(ききん)で餓死者も数多く出た。そこで、その成仏を願っての建立とも考えられる。
 むかしから、途切れ途切れのいい伝えもあるがさだかでない。いろいろの「いわれ」・「因縁」があればこそ、文化・天保の「淫祠御詮議(いんしごせんぎ)」による解除の嵐が吹き荒れたときにも土地の人々の深い信仰に守られて、今日まであるのであろう。
 むかしから、七月二十四日の地蔵様の縁日には、部落中の子どもたちが心をこめて花を飾り、いろいろとお供え物をして、一日をお地蔵様と共に楽しく過ごす伝統の行事は、今日も絶えることなく続けられている。