ここ笠戸島でも、むかしは四国にお参りしていたのだが、大正も終わりの十四年(一九二五)末田弥助他数人の発起人により、新四国としてまつられた。
それまでは、ここ笠戸島から四国に病気平癒などでお参りするときは、長旅になるので水さかずきをして、死ぬ覚悟でお参りをしたという。
近くでは、大島郡や秋穂にも四国お大師様の霊場が勧請されていたが、それとても、この島からでは交通が不便で、船で渡って行かなければならなかった。そこで、笠戸島一円に呼びかけ勧進して安置されたものである。
一番の札所は島の北端瀬戸に始まり、東まわりで島を一周する。お像は、ごく普通にある花崗岩のお大師さまである。
この笠戸島八十八ヶ所のお大師さまができて、めったに回ることのできなかった四国参りが近くででき、しかも一日で回れることに、島の人々は大変喜んだ。
毎月きまってお参りする人も多く、春秋のお彼岸の日は大変にぎわい、遠く本土からも善男善女のお参りがあった。しかし、時代の移り変わりと共に、今では時たまのお参りがあるだけという。