3、鳥居(とりい) (切山八幡宮(きりやまはちまんぐう))

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 国道二号線、周防久保駅の北側、約四キロメートルの山あい、そこに切山の郷があり、当地は江戸時代には本藩毛利家の支配地で、都濃郡宰判の配下におかれていた。
 この郷の山の中腹に切山八幡宮が鎮座されている。この社殿前に建立された鳥居は、元禄十四辛巳年(一七〇一)の奉納である。
 当社の鳥居は一見に価する非常に珍しいものである。それは、両柱が下から高さ二・四七メートル(全高の三分の二)の所で接いであることである。石材質が上下変化していないので、後世に破損し修復したものではなく建立当初からこのように造られていることがわかる。これは、山あいの遠い所まで運搬するために便利さを考えて造られたのではないかと思われる。二本の柱の上に、短柱の大きな鳥居が乗せられているのである。
 右柱の刻文
       華表鼎新勢倚天願心彫石萬自堅
       本庄生土神社前華表銘云
       非維積善壽孫子隨喜村民福漫遇
   (訳)神前の鳥居を、古いものを除いて新しいものにする。建てられた鳥居は高らかで、天によりかかっているようである。今、心の願いをこの石に刻んでおけば自然を守り、その心に定めたことも堅守するようになる。
      これは善行を積むのではなく、ことほぎは子々孫々に及び、喜ぶにしたがい幸福は村中に波及する。
 左柱の刻文 山陽道周防州都濃郡切山庄住民
       元禄辛巳十肆 稔初冬月殼旦
       願司 藤井入衛淨玄捨財草故鼎進