西市の住人林氏が、寛政七年(一七九五)氏神様の神恩を感謝し、今後の家業の益々の繁栄と、海上交通の安全を祈願して奉納されたものである。
林氏は末武の富豪で、回船を持ち、海上交通を業としていた。しかし、当地方における回船業は、昭和初年から急激に衰えている。
鳥居は白味の花崗岩で「けずり」「みがき」もよく、石組み、石合せは精巧で、形、姿共に大変美しい。刻文は、出雲守従五位下基徳が起案し、徳山藩漢学者の黒神氏が校正している。
右柱の刻文
維石不朽陰陽合徳天壞国柱根本確固
干載無傾萬世如新〓光祠壇永仰冥助
(訳) この鳥居は永遠に朽ちることなく、陰陽の徳を合わせ、天地とともに永く伝わり、国家の根本は高らかに栄えて極まることなく、神の威徳恩頼は常に新たなるごとく永く仰がれる。
左柱の刻文
寛政七歳乙卯弥生吉焉
願主 林 孝右衛門絹堯
林 政右衛門周茂