[宝篋印塔(ほうきょういんとう)について]

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 この塔は本来「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」の所説にもとづき、その陀羅尼文を書写して納めた経塔の名をとっているが、いまでは塔の一形式をさしている。屋蓋(おくがい)の四角に馬耳状の飾りが立っているのが特徴で平安末期(一一五〇年ぐらい)には、この型の木造の小さな籾塔(もみとう)が無数に造られている。石塔が現れるのは鎌倉時代(一一九二年~一三三三年)に入ってからである。
 五輪塔とともに、中世石塔としては最大多数をしめ、中世遺跡の示標ともいえるが、後に供養塔、墓碑塔として用いられるようになった。この墓の馬耳状の隅飾り(すみかざり)が垂直に近く立っているのが中世造りで、外方にはり出しているのが近世造品である。(郷土史辞典ほか)
 本市にもこの塔はかなり造立されているが、いまのところ在銘であまり古いものは見当らない。

宝篋印塔