4 宝篋印塔(ほうきょういんとう) (昭和通松心寺(しょうわどうりしょうしんじ))

75 ~ 75 / 171ページ
 徳山藩主初代毛利就隆(もうりなりたか)は、最初居館を下松御屋敷山に設け徳山藩を創設した。寛永十六年(一六三九)八月二十一日に就隆の側室、「永心寺殿月窓永心大姉」が死去されたので御屋敷山の東、現在地に永心寺殿のために、寛永十七年に、曹洞宗永心寺(そうとうしゅうえいしんじ)を一宇建立し、菩提(ぼだい)をとむらわれた。その後、永心寺を改め寺号を松心寺といい現在も存続している。お墓は本堂の西側の墓地に宝篋印塔として玉垣に囲まれ立てられている。高さ一四五センチで、就隆にとっては下松在住時代(元和三年~慶安三年)(一六一七年~一六五〇年)縁者としては最初の死者であった。