3 墓(はか) (孝女おかや(こうじょおかや)) (大河内狐塚(おおこうちきつねづか))

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 孝女お加屋は大河内宮ヶ浴(えき)に住んでいた。家がまずしくて一生結婚せず、盲目の父と病弱の母に孝養をつくし、その善行はとうてい普通人のまねのできるところではなかった。
 徳山藩主より、しばしば褒賞(ほうしょう)をいただいている。父伊佐衛門は天保元年(一八三〇)十二月九十三歳、母は天保八年(一八三七)十一月八十四歳で死去。孝女お加屋は文久二年(一八六二)八月七十八歳でなくなる。お加屋の墓は、大正年間に久保村教育会が国民精神作興運動のひとつとして、孝女お加屋顕彰のため新しく「孝女於加屋之墓」を旧墓地の大河内狐塚に建てた。また、大きな彰徳碑が菩提寺、昭和通西念寺前に孝女お加屋顕彰会によって先年建立された。(孝女お加屋については「下松市の民話」を参照)