1 石碑(せきひ) (亀石(かめいし)) (花岡八幡宮(はなおかはちまんぐう))

83 ~ 85 / 171ページ
 花岡八幡宮の参道入口に、亀の形をした台石の背に大きな碑石が乗せられている。台石は(三メートル四方・高さ一メートル)ここより三キロ離れた「枝折峠(しおりとうげ)」の苔むす石を、十日、千余人により引き寄せられて建立されたものである。なお左の刻文は「風土注進案」にものせられている。
  亀石碑文
周防国都濃郡末武荘花岡八幡宮はかけまくもかしこき皇国の御代の守りと鎮りまします大神にしてまつるところ宇佐におなしつたへいうそのかみ和銅二年己酉(七〇九)の弥生のころほい三奈木某といふわらはに託りたまひ朕は筑紫の宇佐のしまに天降りし姫大神なりここにすまむことを思ふ願くは汝いつきまつれさるしるしにはひと夜のほとにやまをさくらとなしまた岩清水をわかしめむとのたまへりみさとしのことく千もとさくらあしたの雲とたなひきかすめる空にかくはしくわきいつる水またすかすかしつひにこの事おほやけにきこえて瑞の御舎をつくり千木たかしきてかしこみ祭りいまにかうかうしそのみやつくりうへにやまのすかたいや高くふもとは青柳のうらちかくし前に奈つれ遠白し竈門鞠府のなみもここもとによせくるここちす仮のあとを上地といひ伝若宮ここにたたせたもふ岩清水を赤井といひてこの水をくみてのむひとはもろもろのやまひをまぬかるといふまたいとなめらかなる石あり駒の蹄のつきしをあらはす神成石といふ神ここにしてみふたみしたまふといへりいまに九月なかの五日言あけ様のなかうたをうたひて神幸の道すから声たからかに神ほきつかふまつるも実に神代ののこれるありさまはなやかにおこそかなりされ花岡といへるは延喜のひしりの御代に定給ふ生野にして東は勝間西は平野に隣れるをあとたれませし名にめてて何時よりかとなへあやまれりちかくは豊臣三韓をことむけしときこの瑞垣にいのりまうし宇佐香椎にもぬさを奉りしとなむ原田氏大蔵谷延種年ころおもひはかりいそのかみふるきあとをしたいよしある越きを石にえりしるしをきてむとて枝折かとうけなるこけむす石をしたつ礎にせむことを誰かれ共にものしちからをあわせこころをひとつにしからうしてひきよすること十日あまりの日かすをつめりひく人千々にも余るときけは誠に千引の岩といふへし時日とうらへてふとしきたてぬその石のたたすまひやあやに妙あり見る人おおそらをあふくここちもといふうこきなき真のいたりはかの石よりもをかるへしをもさかゆく末武のよよになかく民のかまとのけふりあつくはることにさく花岡のその名たえせぬためしを常磐堅磐につたへてむいさをしと文化九年(一八一二)葉月のころ遂ぬと出雲守従五位原基徳かつたへきかせしままをしるしをきたるをこたひ雌黄くわへてかきあらためむことをもとむれとももとより千里の外の事なれは筆を添へきことはりもあらさるままをかきつけはへりぬ
    文化十一年六月八日  (一八一四)
           正三位勘解由長官 菅原長親 書
               原田庄左衛門大蔵谷信種 建之