2 石碑(せきひ) (福谷直布(ふくやなおのぶ)) (生野屋中村(いくのやなかむら))

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 生野屋中村、岩徳線踏切のそば、生野屋川水落ちに次のような石碑がある。
   嬉シサヤ 干損ヲ凌ク 堤水
        福谷直布塚
   国ノ御為ニ 心ノコシテ
右面 明治十八年五月建之弥八田堤水受中(やはちだつつみみずうけじゅう)
左面 慶応三丁卯四月 庄屋 松村伴五郎
 生野屋地区は水利が悪く、干ばつによる被害が多く、いくつかの堤(つつみ)が築かれているが十分ではない。そこで慶応三年に庄屋松村伴五郎は福谷直布に頼み、弥八田(やはちだ)に堤を構築した結果干害が少くなり、明治十八年に水受中の人たちが集まり彰徳碑を立てた。この堤は生野屋西村の二キロ余り入った山間にあり、約六メートルの堤防を築き五千平方メートルの水面を作り、非常の時この水を利用していた。