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下松市の石造文化財 祈りと生活
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[十一、石碑(せきひ)]
5、石碑(せきひ) (春雨桜(はるさめざくら)) (花岡御茶屋跡(はなおかおちゃやあと))
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花岡の都濃郡宰判勘場横、御茶屋の庭跡にある八重桜の古木のそばに立てられている。藩主忠正公(敬親公)が江戸参覲の途中病気にかかられ、この御茶屋で療養中、桜が公を慰めたと土地の人は伝えているが、公の全快後、明治維新の大業完成を記念して公の雅号にならい「おそ山桜」を植え、「春雨桜」と名付けたと思われる。碑には次の刻文がある。
文久紀元、歳在辛酉、我忠正公東覲之途次疾、駐駕於花岡駅矣、一日公指駅館之桜樹曰樹下之鉄蕉恐礙花時之観、後駅民移之他蓋奉公之意也、頃者駅民追慕之深、欲建石以伝遺愛、請杉子爵之題辞、併及余、当時子爵之与余在扈従之列、今日之請皆不可辞、因記之
明治三十七年十二月
正三位男爵 楫取素彦記