「大正十三年九月、篤農家小林武作君之碑 山口県知事橋本正治書」
山田村梅之木原の出身で、明治十四年九月三日生れ。一歳で父を失い、母も十八歳の時なくなり、ついで頼りにしていたただ一人の兄も失い自分は持病の眼病に苦しみつつ孤立無援の中を刻苦勉励したのである。
「良果を得んとすれば良種を蒔(ま)くべし」と十数年間の品種改良につとめ「武作選」「武作米」と新米種を作り県内はもちろん県外でも広く栽培された。大正十一年六月大日本農業会より篤農家として表彰を受けたが、その年の八月、四十二歳の若さでなくなった。
9、石碑(せきひ) (小林武作(こばやしぶさく)) (久保西蓮寺(くぼさいれんじ))