下松妙見宮縁起によると、推古天皇三年(五九五)九月十八日、青柳浦の松の大樹に七星が降り、七日七夜光り輝いた。「われは北辰菩薩 三年たつと百済(くだら)の王子が来られるので護(まも)りに天降(あまくだ)った」と神のお告げがあった。
ひとびとは社を建てこの星をまつった。これが金輪神社である。星が降ったという松が今の大きな一本松で、鼎の松と呼ばれている。昔ここに三株の(降臨松・連理松・相生松)松の木があり、鼎の足の形になっていたので鼎の松といわれている。
碑は、昭和二十六年四月十八日の建立で、梅田東洋謹書。高さ、台石ともで三・二メートル。