3 郡境標(ぐんきょうひょう) (熊毛郡境(くまげぐんざかい))

125 ~ 126 / 171ページ
 この境標は、下松市内にある唯一の郡境の標柱である。
 位置は、国道二号線の道路そば、熊毛郡と下松市の境の、「峠市(たおいち)」に立てられている。
高さ一・五メートルの石柱であり
  東 周防国熊毛郡
  西 周防国都濃郡
と刻んでいる。
 この地方の名が歴史上にあらわれるのは、いつごろであろうか。
 応神天皇の代「加米乃意美」(かめのおみ)を周防国造に定めるという記録があり、ここに周防の国名が登場する。
 この時の周防の国は、今の玖珂郡、熊毛郡を指し、都濃郡はこの中に入っていない。都濃の名が出てくるのは、仁徳天皇の代「田鳥足尼」(たとりのすくね)(紀臣の同祖、都怒足尼)(つぬのすくね)の子を「都怒国造」に定めるという記録にはじまり、このころ大和朝廷の国内統一が進み、山陽道、東海道などの官道も整備された。
 「延喜式」によると、この近辺では新南陽市の平野(ひらの)、熊毛町の周防および下松市の生屋(生野屋(いくのや))に駅家が置かれていた。その後「大宝令」により、五里(約二〇キロメートル)ごとに一駅を置き、二〇頭の馬も備えられ交通の便をはかるようになった。
 現在の標柱は、もと古い花崗岩でできていたが、この付近に新興住宅団地が次々と造成され、その工事のため石を倒し使用できなくなったので、新しく作りかえられたものである。