この灯明台は、もと宮の洲の先に明治二十六年(一八九三)七月、土地の実業家、矢島作郎氏が、瀬戸内海を通って笠戸湾に出入りする船舶の航路標識として、海上安全のため私財をもって建立されたものである。一度宮の洲から撤去されたが、後に現在地に記念のため再建されたものである。
この矢島作郎氏は、天保十年(一八三九)一月十八日徳山藩士伊藤三郎治の二男として生まれ、慶応四年(一八六八)英国留学の前に矢島家を創立した。実業家としてはもちろん衆議院議員も務め、明治四十四年広島でなくなった。矢島専平氏はその養嗣子である。