大正六年(一九一七)二月に着工し、四年後の大正十年(一九二一)三月に竣(しゅん)工した。この時の工事費は約二万八千円であったという。
この記念碑は、高さ約二メートル程の自然石で、碑の文字は、時の農商務大臣「荒井賢太郎」の書で、次のようにその台石に書かれている。
都濃郡末武南北両村
相接之地卑低沮洳排
水不便特有嘉穀没泥
之患農耕太難有志者
憂之有平矣万相謀欲
整理耕地以為大礼記
念事業大正六年二月
起工十年三月竣工経
費約二万八千余円得
良田七十余町歩交通
之便灌漑之利兼備於
是農収追年而加復無
昔日泥水停滞之憂口
郷黨欣然刻石以伝於
後世云
大正十二年二月十一日
山口県知事従四位勲三等 橋本正治
山口県立下松工業学校長
従五位勲五等 後藤秋太郎書
なお碑石の裏面には、組合長 古谷小作
組合副長 堀 喜代彦
外評議員六名 組合議員二十三名
碑石寄付者の氏名が刻まれている。