花岡西町の人、杉山治助氏が満州で成功し、当時の大連市に居住していた。昭和二年(一九二七)八月、私費をもって花岡村有の荒蕪林(こうぶりん)を開拓し、三〇〇〇本の桜苗を植え 遊園地として村に寄贈したが 時の流れには抗し得ず、現在は松樹の自然林となっている。同氏は事業の完成をみると、昭和三年七月、その山麓に花崗岩の記念碑を建てたが、その大きさは近隣に比ベるものがなかった。
この碑は徳山黒髪島から海路により、平田川河口に陸揚げされ、現地山麓に据(す)え付けるまで四キロの道程をことごとく人力(カグラサン)によって運搬設置されたもので、江木翼氏の筆になる「花岡遊園記念碑」と壮大に彫り込まれてある。