3(考古資料) 盤龍鏡一面・三角縁神獣鏡二面・内行花文鏡一面(ばんりゅうきょういちめん・さんかくぶちしんじゅうきょうにめん・ないこうかもんきょういちめん)

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   指定年月日 昭和三十年二月二日
   所在地   東京国立博物館
   所有者   文化庁
 宮の洲古墳は、陸繋砂州(りくけいさす)の上にある円墳で、享和二年(一八〇二)に発掘、その後二回調査された。内部主体は櫟床(れきしょう)をもつ小口積みの竪穴式石室で、漢式鏡四面の他に、鉄刀、(注)鉄鏃(てつぞく)等の副葬品を出している。
 宮の洲開発地石室覚(徳山毛利家文書)によると、「享和二年磯部家祖先による宮の洲開発の際に発掘され、同年「埴常社(はにともしゃ)」という小さなお社(やしろ)を建て、再び石室内に奉納した。」とあり、明治初年の発掘調査で持ち出されたものと考えられる。
  写真説明  盤龍鏡は、面径二十五センチ、重量は約二キログラムで、鏡背に帯銘があり、(注)魏晋(ぎしん)の王氏作と推定される。

 

   (注) 「鉄鏃(てつぞく)」  =鉄製のやじりのことで、わが国では弥生時代からある。
   (注) 「魏晋(ぎしん)」  =魏・晋の時代で、わが国では「ひみこ」が活躍した弥生文化時代から大和朝延統一の頃(三世紀から四世紀中期)で、今から約一六〇〇年前である。