所在地 下松市生野屋宮本
所有者 多聞院
本図は古くから須弥山図として、生野屋の松尾八幡宮に伝えられ、明治の神仏分離とともに同宮の社坊多聞院に移された。
木造で高さ四十八・一センチ。最下段は方形上四段は円筒形からなる像の側面と底面に白土下地をし、極彩色で図像を描いている。最下段方形の底面は、宝形に凹(くぼ)められ、吉祥天(きっしょうてん)と四大竜王を描く。
表下段には、三十六禽(きん)(鳥獣形)、上段には二十八宿諸神(神像形)を白抜きの小円内に描く。第二段には十二天、第三段には十二宮の諸像を描くと思われる。第四段には人身鳥頭有翼像三体と有翼像一体を、最上段の上部には兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)を、下部には帝釈天(たいしゃくてん)を描くと思われる。これら諸像のうち十二宮、二十八宿は星宿図に不可欠であり、時に三十六禽(きん)も描かれることから考えて、星宿に関するものであることは明らかである。
制作年代は明確ではないが、図像表現の特徴から考えて、鎌倉時代をくだらないとみてよい。
本図は、古く寅(とら)年に開帳されたと伝えられるが、寅開帳(とらかいちょう)や本図の制作がどのような信仰に基くものかは、今後の研究をまたねばならない。