所在地 下松市久保切山
保持団体 切山歌舞伎保存会
宝暦の初め、イノサコの長重良(ちょうじゅうろう)というものが京参りの帰途、大阪竹本座の人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎を見て感銘し、長男三四良(さんしろう)に学ばせたのが切山歌舞伎の起源といわれる。
三四良は、三年の修業の後、浄瑠璃本を携帯して帰り村の若衆に教え、宝暦七年(一七五七)の切山八幡宮秋祭りに初めて上演した。
その後、長重良の子孫といわれる山本家を中心に伝承されたが、特に明治二十五年ごろ八幡宮境内に「共立舎」が設置され、芸人の養成に努め、遠く朝鮮、中国にまで公演を行うほど隆盛をきわめた。
現在、切山歌舞伎保存会(昭和四十九年九月二十七日、二十九名にて発足)が地元青年によって結成され、さらに、切山歌舞伎後援会(昭和五十年六月三十日、三百四十五名にて発足)が組織され、物心両面の後援をしている。また、大小道具類は切山八幡宮集会所及び近くの民家の土蔵に保管していたが、備品の修理、保存の重要性の認識も高まり、収蔵庫建設の気運が盛りあがり、鉄筋コンクリート造り、二十八・三五平方メートル、金額四〇〇万円で、昭和五十一年五月九日落成式をあげた。