今日、周南工業地域の一翼を担う工業都市として発展しつつある下松市は、笠戸島・大島による自然の良港に恵まれ、古来より海上交通の要衝として栄えてきました。
今から1400年前、下松は青柳浦と呼ばれる百済の交易港として栄え、当時百済の琳聖太子によって伝えられた北辰妙見信仰は、その後各時代を通して下松の文化、風土形成の背景となっています。
古くは、本市の低丘陵地を中心に繩文・弥生・古墳時代の各文化期が展開され、その遺跡分布密度は他の隣接地域にくらべて極めて濃密であります。
大化の改新にともなう条里制の一部が見うけられる末武平野は、中世・近世にかけて大内氏・毛利氏の興亡の地となり花岡・久保市は山陽道の宿場町として栄えました。また平田・西市沖等では開作奨励による干拓が盛んに行なわれ、塩田経営による商業の町や出荷港として栄え、今日の下松市街地の基盤が形成されました。
現在、下松市にはこのような歴史的変遷や地理的背景に相応する各時代の特徴を示した文化遺産が市内各地に現存しています。
これらをより深く探索・調査・研究して、このたび追録いたしました。
この小冊子が文化財資料として活用され、郷土の文化財に対する関心をたかめるとともに、一層の理解と認識を深め文化財の保護、保存に役だてば幸せに存じます。
昭和61年10月
下松市教育委員会
教育長 河村芳信