《県指定無形民俗文化財》
切山歌舞伎(きりやまかぶき) |
指定年月日 | 昭和43年4月5日 | |
所在地 | 下松市久保切山 | |
保持団体 | 切山歌舞伎保存会 |
宝暦の初め、イノサコの長重良(ちょうじゅうろう)というものが京参りの帰途、大阪竹本座の人形浄瑠璃や歌舞伎を見て感銘し、長男三四良(さんしろう)に学ばせたのが切山歌舞伎の起源といわれる。三四良は3年の修行の後、浄瑠璃本を携帯して帰り村の若衆に教え、宝暦7年(1757)の切山八幡宮秋祭に初めて上演した。
その後、長重良の子孫といわれる山本家を中心に伝承されたが、特に明治25年頃八幡宮境内に共立舎が設置され芸人の養成に努め、遠く朝鮮、中国にまで公演を行うほど隆盛をきわめた。即ちその公演題は20数場面に及び中でもいわゆる18番ともいうものをあげると
恋女房染分手綱(重の井子別れの段)
妹背山女庭訓(御殿の段)
絵本太功記(尼ヶ崎の段)
奥州安達ヶ原(袖萩祭文の段)
傾城阿波の鳴門(巡礼歌、ドンドロ大師)
等々で概ね近松ものが多い。
上演は仮設舞台や移動舞台で行なわれることが多く、それだけに民衆との融和とその支援は大きなものがあった。
現在、切山歌舞伎保存会が地元青年によって結成され、歌舞伎技能の保存伝承につとめている。