破邪の御太刀

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破邪の御太刀
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《市指定有形文化財》
(工芸品)破邪の御太刃(はじゃのおんたち) 一口

指定年月日昭和48年9月22日
所在地下松市花岡戎町
所有者花岡八幡宮

 刄渡345.5cm、中茎120cm、反(そ)り28cm、幅13cm、厚さ3cm、重量75kgの大太刀を縦123cm、横604cmの大額に掲げている。
 安政6年(1859)東肥菊地延寿国村27代末孫三光軒北辰子国綱による新刀である。
 故あって肥後細川藩を逐電した国綱は毛利藩を頼り下松市平田の地で鍛冶の業に勤(いそし)み余生を過ごす。当時社会は、安政の五か国条約が結ばれ、長州藩を中心にした尊王攘夷運動も高まり騒然たる情勢であった。たまたま安政6年は氏神(花岡八幡宮)の式年大祭に当り、氏子中は平穏な社会の再現を願って国綱に破邪の大太刀を作るよう依頼した。国綱は門弟伊藤百合蔵国寿(くにひさ)等5名、手伝い2名を従え砂鉄300貫を鍛え、川を堰きとめ、焼きを入れ大太刀を作りあげ奉納した。
 大太刀は正規の刀と同様に鍛えられ、ヤスリもなかなか受けつけず、研ぎあげれば「におい」もでて、鎚跡(つちあと)も残っている。