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(五) 多宝塔前方池泉

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 庭園は建物に付随するものであるが、八幡宮に於ける三庭園は、いずれも建物から鑑賞する型式ではなく、参道横の境内空地を利用している。この池泉も前方の多宝塔とは配置・年代等から直接関係はない。前述のように多宝塔の方は古く室町中期か後期の建造と推定されている。塔の手法は繊麗で外形も美しく我国に於ける他の多宝塔と比較して遜色がないという。
 さてこの多宝塔前方に小池泉(涸)がある。池の中央には、最大幅約四mの中嶋がある。島のほぼ中央には花崗岩による強い反橋(そりばし)を架けている。島には亀甲石・亀頭石を配置したようで蓬莱島を具象化したと思われる。池辺右奥部に枯滝が小さく組まれている。この付近から水を導入したものであろうが現在は涸れている。江戸後期秘伝書の普及により類型的多数の作品が生れ、その芸術的評価は高くないが、この時代の庭園の傾向を示すものと云えよう。

(多宝塔前方池泉庭園略図) 昭和40年8月調


多宝塔前方池泉(涸)


多宝塔前方池泉(涸) (昭和三十三年九月撮影)

 池底は池の漏水を防ぐためセメントによる補修がされており、池泉全般にやや後世の臭味を感じるのはこの補修の際になされた結果であろうか。
 尚池泉周辺に元禄年間の灯籠が二基存在する。材質はやや赤味の花崗岩で地上二m余である。八幡宮境内には元禄年中の灯籠が五基在るが、いずれも宝珠・火袋の石質が他の部分とややことなっている。元禄十三年造立は下松市内では、米川神社についで古いものである。池泉横の灯籠には、次の銘文が在るが池泉とは直接関係がない。
  八幡宮燈臺 施主
         田中十郎右衛門
  元禄十三 庚辰年
    五月吉祥日