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(三) 光円寺庭

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 寺院庭園の内まず光円寺庭園は、向って右側に枯滝を構え、これより左手前に小池泉を穿ち、池辺要所にわずかに配石をし、池泉中央やや滝寄りに自然石(反橋)による橋を架けている。滝の背後には人工的に土盛りをなし、このほぼ中央に低く大ぶりな石をもって、正覚石を配置している。池に架した石橋と盛土の間には五個の飛石をもって正覚石に至る。庭は簡単な垣で背景を区切られているが材種は明らかではない。池の対岸向ってやや左寄りに自然石による灯籠を置き、灯籠の横及び滝横等に若干の植栽をなすも植物名は判然としない。庭は極めて小さいものと推定され滝部に強烈な立石をもってする外、他は誠に意匠簡素なもので通則的、定型的配石をなしており野心的内容は認められない。(庭園絵図参照)

山田村光圓寺庭 (山田孝太郎氏所蔵)


『築山庭造伝』後編 草之築山之全図 籬島軒秋里(一八二八)

 この庭は明らかに『築山庭造伝』後編「草之築山之全図」を取捨、参考にしたものであるが、ただ図示とは逆に主景(滝)を向って右に構えたため、水の流れ池尻等が全く逆になり、これにつれて配石も変化している。ただ「草之築山之全図」に描かれた池泉前方の飛石は、全く存在しない。(註一)が「上座石」は特にそのために盛土したらしく『築山庭造伝』のそれよりも更に強調されているのが印象的である。
 この寺では昭和初期に庫裏を他の地より移築し、その際小さな池を崩したというが、その池が木村翁の遺構であったか否かは明らかではない。
 (註一)その意味ではむしろ同著「遠州浜松鴨井寺、同寺裏之間之庭」の図に符合する点が多い。木村翁の庭は手本にした庭に比較して、全体的に飛石の数が少ないがこれは庭が著しく狭いためではなかろうか。

『築山庭造伝』後編 遠州浜松 鴨井寺裏之間之庭 籬島軒秋里(一八二八)