山田村光圓寺庭 (山田孝太郎氏所蔵)
『築山庭造伝』後編 草之築山之全図 籬島軒秋里(一八二八)
この庭は明らかに『築山庭造伝』後編「草之築山之全図」を取捨、参考にしたものであるが、ただ図示とは逆に主景(滝)を向って右に構えたため、水の流れ池尻等が全く逆になり、これにつれて配石も変化している。ただ「草之築山之全図」に描かれた池泉前方の飛石は、全く存在しない。(註一)が「上座石」は特にそのために盛土したらしく『築山庭造伝』のそれよりも更に強調されているのが印象的である。
この寺では昭和初期に庫裏を他の地より移築し、その際小さな池を崩したというが、その池が木村翁の遺構であったか否かは明らかではない。
(註一)その意味ではむしろ同著「遠州浜松鴨井寺、同寺裏之間之庭」の図に符合する点が多い。木村翁の庭は手本にした庭に比較して、全体的に飛石の数が少ないがこれは庭が著しく狭いためではなかろうか。
『築山庭造伝』後編 遠州浜松 鴨井寺裏之間之庭 籬島軒秋里(一八二八)