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(四) 河内村浄念寺

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 寛延二年(一七四九)三月には当寺から次の如く上申している。(『防長寺社由来』)歴代住職は、多々良姓を称し、大内氏一門であったともいう。
   徳山領
     河内村 浄念寺
       覚
  一当時開基 法名慶徳
    寛永七年正月廿五日往生、是ヨリ以前伝不知也
   二世   了性法師
    寛永十七辰正月朔日本願寺ヨリ寺号浄念寺ト申請候事
    貞享二年十月六日寂
   三世   尽奥法師
    延宝九年五月二日往生
   四世   受慶法師
    存生
      現住
   五世   秀伝
   堂  四間五間
   庫裏 三間半四間
   門  壱軒(間)弍間
   御本尊無量寿如来 御長一尺五寸立像
   脇尊
       絵像
    宗祖  親鸞聖人
       同
    御代  良如上人
       同
        聖徳太子
       同
        七高僧
    洪鐘
     享保十四酉春掛之
            防陽都濃郡富田善宗寺下
                    河内浄念寺(印)
     寛延二巳三月十五日          秀伝
         井上武兵衛殿
 現在の本堂は、九世秀海代の再建によるものである。尚当寺については『乗友の改姓と浄念寺』信友明氏(西宮市門戸西町)の記述がある。

浄念寺手水鉢 年代不詳


浄念寺(現在)


浄念寺本堂姿図他『都濃郡河内村明治二十年地誌』