ビューア該当ページ

(一七) 白砂、小石

62 ~ 63 / 541ページ
 白砂は、水面や流れを象徴的に表現するもの、又は龍安寺石庭の如く抽象庭(?)に使用する場合、更には慈照寺向月台の如く、砂による一種の造型を目的(?)としたもの等がある。だが大道理村田中虎太郎庭他六庭に使用されたものは、これらのいずれでもない。即ち『築山庭造伝』前編北村援琴(享保二十年・一七三五)には「三吉とハ一つにハ主人島に安居石を立るをいふ。二つにハ面前の松をすくやかなる木ぶりを植るをいふ。三つにハ庭前に砂利をまくをいふ、これを三吉と表す。」としており「景色図」のものは、このように吉祥の意をもって白砂を敷いたものであろう。
 又「景色図」には水面を象徴した部分例えば枯滝の場合はそのすそに一区画を作り、必ず小石を入れている。この種のものが十二庭存在するが、これは同書前編巻の下に示された「神清安寂体」と称する図示に符合し、これらを参考にしたものであろうか。このように作者木村翁は白砂を吉祥のために使用し、水面を象る場合には、必ず小石を使用して両者の素材使用を明確に区別している。ただこのような方法が木村翁個人の意匠考案によるものか、当時一般に流行せるものかは容易に判断出来ない。

三つ尾 坂本家庭園(その一) (山田孝太郎氏所蔵) 枯滝のすそ(池中)に小石を入れ上部(対岸)に白砂を敷いていることに注意。


三つ尾 坂本家庭園(その二)

 静岡県清水市にある清見寺庭園は、昭和十一年九月の文化財指定理由として(前略)「本堂並ニ書院ノ前ニハ京都ニ於ケル寺院ノ庭園ニ慣用セラルル白川砂ニ倣ヒテ海浜ノ小砂利ヲ盛リ箒目ヲ施シタリ、蓋シ京都風ノ庭園ガ漸ク地方化セラレントスル過程ヲ窺ヒ得ベキ好適例ナルベシ」と記している。木村翁庭園の場合は右の如く京都庭園文化が伝播、地方化したものではなく、所謂秘伝書の地方滲透を意味するものと解釈すべきであろう。定型化の原因をつくった秘伝書を素直に読んでの築造であって、残念ながら山口の常栄寺や室積の普賢寺庭に志向を示すことはなかったのである。