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(一八) 思想、内意

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 庭園の一部に祠堂が描かれたものが、三つ尾村坂本三衞門家等六庭存在する。又「正覚石」(上座石)を配置したものが八庭あってこの地方の信仰心の旺盛なことを物語っている。『夢窓流治庭』では「正覚石」のことを「影向石(ようごういし)」と称して「側に松を植る、山の際、又は池の向ふちにあり、又主人島か客人島に居る事有、又、影向島ある時は是に居る」とあり又『庭造秘書』には「寺院等の山水に一つの秘書あり、山の麓に木を植て木の本に平石をすえるなり、此石を上座石と号せり、(中略)三世の諸仏出世の時、此石の上にて正覚なり給ふ故に正覚石とも云ふ、又三界独尊石ともいふ、此の石をかたどり庭中に立てきて座するときは凡人を転じて正覚の縁をむすぶなり、惣心じて仏道に入る事は表示を本とす、(中略)別に所を構ひておくべきなり、葉室の西芳寺にも夢窓国師の置き給ふ上座石あり」と記している。
 河内村浄念寺等正覚石の描かれた九庭は作者が手本とした『築山庭造伝』後編「草之築山之全図」よりも極度に正覚石を強調し、他は相対的にやや簡素化の傾向すら認められる。これは木村翁作庭の「景色図」と『築山庭造伝』後編の図を比較すれば容易に判明するところである。
 これらの庭は中世禅宗寺院に於ける坐禅石の如く、所有者が実際に石の上に座して仏の因縁を求めたものではあるまい。だがこのように「正覚石」を中心に庭を築造することは、屋敷内にあってひたすらに信仰の雰囲気を強調したものであろうし、江戸末期この地方に於ける庭園の特徴として、特筆すべき事柄である。